【村上鴻】「JEG」を作った理由と、それまでのストーリー


こんにちは!村上 鴻(むらかみ ひろし)と言います。今回は、「JEG」を作るまでの私のストーリーについてお話しします。

私は、現在17歳ですが、高校には行っていません。2016年8月に自主退学をしました。

 

思えば、小学生の頃からずっと学校が苦手でした。みんなと同じことをしないと怒られる学校という組織が。

 

小学校にはあまり行っていませんでした。家でずっと勉強をしてました。母によると、23時に塾から帰って、お風呂入って24時を過ぎたとき、そこからまだ勉強したいとよく言っていたそうです。小学3..4年生の頃は、大手塾でも毎回TOP 5くらいに入っていました。

 

そして、中学受験があり、東大・京大に合わせて毎年100人程入る中高一貫の進学校に入学しました。

勉強するには、格好の場です。でも不思議なもので、勉強が嫌いになっていました。

そして、「勉強しろ」言われるのが嫌で中学も行かなくなりました。そこまで深くは掘り下げませんが、小学生の時の勉強と違って、覚えろ覚えろと言われ、知的好奇心が満たされなかったんだと思っています。そして、中学2.3年の出席日数は合わせて40日ほどでしょうか…。

 

今度は、家でずっとゲームかネットサーフィンをしていました。20時間ご飯以外ぶっ続けでゲームとかしてました(笑)

とある時、とあるゲームをPCでやりたくなり、自分でソケットやら何やらを調べて、パーツを一つずつ買い、自作PCを組み立てました。今もそれを使っています。それが中学2年生の頃ですかね。

 

ゲームも何時間やったんでしょう(笑)1万時間は最低でもやったと思います。一番やったゲームだと1600時間…(笑)

戦ったり

ヨーロッパでトラック運転したり色々と(笑)

その時間を、勉強に使っていれば、偏差値的にはすごく上の方行けていましたね(笑)(そんなものいりませんけど)

でも、僕のできることは僕のやりたいことです。机に向かう所謂一般的に勉強と言われるものは一切しませんでした。

 

そして、同じような毎日を繰り返し、月日が流れていき、中学3年生の正月。父親が妹を連れて旅行に行きました。

嫌気が差したのか、帰ってくることはありませんでした(笑)

父が帰ってきたら、部屋に篭り、全く顔を合わせようとしなかった私ですが、それでも、守ってくれるものだと信じていました。自分が信じていたものが一瞬で崩れ去りました。

 

それは、やっぱりかなり衝撃的なことでした。それがきっかけで、自分の将来というものを考えました。中学時代の私は、「ただの甘えた現実逃避」です。何も解決になっていません。

選択肢を多く知らなかった私が考えた結果、高校は行くという選択をしました。

 

中高一貫なので、中1の頃からメンツは変わってないわけで。周りがすごく怖かったです。でも、頑張ったのか、2ヶ月程経ったときには、ある程度は馴染めていて、何人か友達と呼べそうな人も出来ていました。

勉強もある程度頑張りました。進学校なので、高1で高2の範囲を学習します。中学全く勉強してない私にとって、すごく難しかったです。だって「二次関数なにそれおいしいの?」「as long asってなに..?」状態でしたから。最初は、割り算すらままならなかったです。宿題もいっぱいありました。中1の頃から変わらず、いやもっと”勉強しろ”と言われます。やりたくないと口を漏らせば、「そんなんやったら留年するで」と。ちょっとやれば「お、頑張ったな!一緒にちょっとずつ頑張ってこ!」って。

やらなければ留年して人生どうなるかわからない。選択肢をあまり知らない私にとって、それは効果抜群でした。

そんな風に恐怖を起点にした行動ばかりしていた僕は、もちろん頑張るのも留年しない程度にです。だから出席日数もテストの点数もぎりぎりです。そこに”ワクワク”はありません。知的好奇心はありません。

 

例えば、「万物の根源は水である」という言葉。ほとんどの人が一度は聞いたことがあるでしょう。この言葉は、昔の人が世界を神話によって構造化しようとして出来た宗教があり、その宗教同士の戦争が勃発していた時代。神話によって構造化するから分かち合えないんだと考え出来たのが、この言葉だそうです。これを知った時、私はすごいワクワクしました。でも私の学校では、タレス「万物の根源は水(アルケー)である。」としか黒板には書かれませんし、先生も話してくれませんでした。

 

受験に合格するためだけには、その方が効率が良いかもしれません。受験があるから、そこから逆算して、受験に出てくるのはそこだけだからそこだけやればいいよと。でも、それは学びの本質でしょうか?私はそうは思いませんでした。そのワクワクしない勉強を、留年などの恐怖によってさせられていた自分。

抑圧により、自分じゃない人を演じていた自分には、限界がありました。

そして、高校2年生の5月のある日を境に、私は学校に行かなくなりました。

「学校が別にすべてじゃない」と言ってくれたのがきっかけですかね。まぁ、その言葉は先生の口から出たんですけどね。

高認などの別の道を知ったのもその頃です。
その日から全ての行動の起点は”ワクワク”です。そして”自分と繋がる”ということもできました。

自分と繋がると、ほんとにパワーがすごいです。

 

そして、私の周りは急変していきました。

色々な人と出会いました。

自分を出すことができる、自分を受容してくれるコミュニティも見つけられました。

学校に行っていたときでは得られなかった、ワクワク・安心感・帰属意識・自己肯定感・自信・仲間・親友・尊敬する人・素の僕を認めてくれる人を得ることができました。

僕の人生はそういう人生だったんですよね。多分。最初から。

 

でも、世の中には、自分を繋がってない人が多いと思っています。

恐怖や同調圧力・社会重圧によって、自分との繋がりを遮断されてる人が。

それは、私も肌感覚で感じ取りました。

 

私は、自分と繋がることが最も重要だと思います。自分がこう思うからこうする。自分はこれに幸せを感じるからこれをしたい。そういうことが重要だと思います。

良い大学行って良い企業入るのがいいんだっていうのも、あると思ってます。

”社会の正解”と”自分の中の正解”が一致していてのその選択なら素晴らしいと思います。

でも、自分の中の正解が分からないから、もしくはわかってるけど何かの理由でそうしないとだめだからっていう理由での選択なら、違うんじゃないかなーって思います。

 

確かに「そんなんじゃ生きていけないよ」っていうような批判はいっぱいありますよ。

「もっとよく考えた方がいいよ」とか。

でも、僕は自分を殺してまで、生きたくありません。仕方ないじゃないですか。これが僕なんですから。

それに、私の周りには、自分を目一杯だして生きている人なんて有り余るほどいますしね。

 

そして、自分に影響を与える人は、そんな自分と繋がっている人ばかりです。

私はそういう人達が大好きです。

そんな大好きな人を増やしたい。

 

私の夢

「みんなが自分を表現し、認め合い、助け合う社会にする」

その第一歩目が、このプロジェクトです。

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